生活すべてが禅、生活すべてが勉強

日々の考えあれこれ

福井県に永平寺という禅宗(曹洞宗)の本山の寺がある。曹洞宗の大本山ということで、毎年たくさんの修行僧(雲水というらしい)が修行に訪れるが、とにかく修行が厳しい寺で有名だそうだ。

そこの何代か前のトップだった禅師さんの話を聞いた。いわく、「坐禅をする際は何も考えない。息と一つになる。そうしていると、欲望や野心のようなものが入り込むすきがない。」だそうだ。

高徳のお坊さんの域に至るのは不可能かもしれないが、私たちでも実践できることはあると思う。曹洞宗の開祖は、中学でも社会で習うが道元だ。道元の教えでは、「日常生活のすべてが禅であり、修行」だそうだ。坐禅を組んだり、お経を唱えることだけが修行ではないそうだ。朝起きてから寝るまでの営みのすべて、顔を洗い、歯を磨き、食事をすることから掃除などの日常の営みがすべて修行で、修行僧たちは毎日、作法に従って日々の行動をすべて行うのだそうだ。

私自身、今の生活や仕事のすべてを修行と思うことはあまりないかもしれないが、毎日同じことを繰り返していると、リズムのようなものができる。無の境地に至ることはないが、何かしら新しい発見をすることもある。同じことを毎日続けるというエネルギーも養える。

また、すべてを禅にすることはできなくとも、すべてを学びの材料にすることができるようになる。本を読む、先生の話を聞く、だけではなく、ふと見かけたテレビ番組や、読んだ漫画や見たアニメ、すべてを学びの材料にすることができる。具体的な話をしだすときりがないから、機会を見て細かいことは言うかもしれない、ということにする。

禅宗の雲水が、日頃の生活を修行や禅にするがごとく、私も日常の生活を悉く勉強にしていけるよう精進したいものだ。

におか塾は、尼崎市立花町の「勉強を鍛える学習塾」です。

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