中間試験が、早いところだと今週、ほかの中学でも来週に実施される。夏休み明けの余韻も冷めやらぬまま、いきなり授業、そして試験。中2生にはトライやるウィークを挟むこともあって、なかなか勉強に気持ちが向きにくい環境が続いた。
今期、塾では指導体制の見直しから初めての試験になる。取りわけ、中2生は学校授業がほとんど進まない中での試験なせいか、提出物の完成ペースが1学期末の時より落ちている様子が見受けられる。トライやるウィーク期間中は学校に行くことがないから、余計にそう思うのも無理はないが。
定期試験という場は、どうしても塾や塾に通わせる親御さんからすると、「次のテスト、成績上げなきゃ」と思いたくなるし、それは当然至極なのだが、定期テストにはもう一つ、大きな側面があると、私は個人的に思っている。それは、「成長の場」としての側面だ。もしくは「改善の場」としての側面だ。
よくある例だが、成績が上がる、点数が上がる、順位が上がるなどのようなことがあると、考え方が2つに分かれる。「よし、この調子で次も頑張るぞ」と次へのモチベーションにするタイプと、「この調子なら、もういけるな」と勝手な自己判断で勉強のペースが落ちるタイプだ。なんでもそうなのだが、成績の上昇があると、一定数「のぼせ上がる」層がいる。自分はできると自己判断する層だ。私も何人か出会ってきたことがあるが、そういう子はたいてい次のテストで点を落とす。
なぜそうなるのかというと、まず一つは本当に言葉通り「思いあがる」タイプだ。もう勉強のコツは分かったとばかりに、勉強量や打ち込みの量を落とす。この考え方は結構危険で、こういう子ほど、「効率的」「コスパ」「タイパ」などのいわゆる質的側面に沿った文句に引っかかる。俺はやればできるんだから、無理やり長時間やらなくても、必死に何周も何回も見直さなくても、効率よく勉強すればいいのさ、という考えにころっと陥る。
もう一つは「また同じように大変な思いをすることから逃げたい」タイプだ。長時間勉強や猛烈な追い込みを経験して、成績がアップした場合、次のテストで成績を上げていきたければ「同じ思いをする必要がある」ことに、容易に思い至る。初めての猛勉強というのは、意外とできる。未知の経験だからだ。でも、何事も未知は経験すれば既知に変わる。「また2週間前には、1週間前には、単語を覚えなきゃ、漢字を覚えなきゃ」と前と同じ経験から、大変な思いが目の前にあることがわかってしまうので、これを回避しようとしてしまうのだ。
せっかくの機会、2学期は中間試験で多少うまくいかなくても、期末試験がある。3年生はさすがにそんな悠長なことを言っていい時期ではないが、下級生には、伸びればそれに越したことはないし、もし多少伸び悩むことがあったとしても、それを自分の中にある「緩み」に対する改善と発奮の絶好の機会に変えさせたい。
先を見据え、幾重にも考えを巡らせながら、試験前の指導は続く。