毎年実施される、小6生と中3生の全国学力調査について、「3年前より得点が低下」との報道(発表)があった。記事では、コロナの影響など(前回の経年発表はコロナ禍の2021年度)が取りざたされている。もちろん、その影響を否定するつもりはないのだが、私個人の見立てでは、その余波とでもいうべき影響が、主に家庭、もっと言えば親に現れたのではないかとみている。
同時に発表された内容によれば、保護者への調査の結果として、「子供の良い成績にはこだわらない」という回答が多かったとされているのだ。コロナ禍などを経て、不登校になった利する子が増えたことを受けてなのだろう、「学校に楽しく行ってさえくれれば」と考える向きが強まっているようだ。
きつい言い方は承知でいうが、私は親が(ひょっとしたら学校も)甘くなったという傾向が強まったのだとみている。コロナだけが原因というつもりはない。ここ10年くらいだろうか、私は朝の散歩がてら8時半くらいに外に出る。家の近くには小学校があり、我が家はその通学路上にあるのだが、ゆっくり歩いて学校へ向かう小学生の数が少なからず目立つ。繰り返すが8時半である。明らかに遅刻だ。それにもかかわらず、急ぐ様子もなく彼ら彼女らは歩いている。
子供たちの家のことまで知る由もないが、彼ら彼女らの親御さんは怒っていないのだろうか。それとも、「学校へ行ってくれるだけまし」なのだろうか。事情は分からないが、堂々と遅刻する姿はどう見ても異様な光景に映った。それも一人二人ならまだしも、毎日10人くらいは見かけるのだ。
はっきり断じてしまう。たぶん、このまま大きくなれば、子供たちは「遅刻しても大丈夫」と考える。中学校へ行っても対応は似たようなものだろうから、何かきっかけでもない限り改善はすまい。やがて大人になる。遅刻が許されない立場になった時に、果たして彼ら彼女らは大丈夫なのだろうかと心配になる。その時になって会社の上司や客先から叱責されるようなことになって、彼らはどのようになってしまうだろうかと心配になる。
翻って勉強の話だが、コロナ禍で学習環境が変わった影響は否定しない。私はコロナ禍のさなかに前職の塾を退職し、開業したので、あの当時の指導の現場の大変さは身をもって知っている。いくら全力で対応したとて、少なからず子供たちの学力や点数に影響が及んだのは間違いなかろう。
ただ、その後の親の対応で、子供の成績はくっきり分かれたとみている。ある親なら、今後何かあった時のために、緊急時の対応がしっかりしている(少なくとも期待はできる)中学校の受験などを考えるかもしれない。またある親なら、学校に頼らず、自分で(あるいは子供自身で)どうにかしていく環境を考え、そのことを子供たちに働きかけるかもしれない。そして一方で、必要以上に子供を甘やかす考えになった親も少なからずいるだろう。明らかに子供たちに対して猫なで声のような親御さんは増えたという肌感覚がある。ショッピングモールを歩いているときも、公園で遊んでいる姿を見かけるときも。
暗い想像をすると気が滅入るし、大きな話をするのもどうかと思うが、世界中が大変な状況に瀕しているのはニュースを見ても明らかだ。政治の世界も混乱を極めている。ここでは政治的な話はさておき、こういう状況で人間一人ひとりにできることは、毎日のつとめをゆるがせにしないことだと思う。学校に行くこと、運動や勉強をすること、仕事をすること、家事をすること、その余暇で遊ぶことも含めてだ。その根幹たる日々のつとめに対して不誠実な人間が生きていける場所がどんどん減っている現状に目を向けず、ただ目の前のかわいい我が子が機嫌よく過ごしているかにだけ目を配っているようでは、その子の先はない。
せめて我が塾だけでも、その中でかかわった子たちだけでも、その日々のつとめに、あるいは自分自身の生き方に誠実になってくれるよう接したい。自分が歩むのだ、という意思を持った子たちの横につき、あるいは後ろから背中を押し、あるいは前から手を引いてあげられる存在でいたいと心から思う。