昨日の理科の授業での一幕。
ある生徒が問題を解いている。なかなか理解ができない様子。説明をしながら一緒に解いてみる。何度も砕いて話しながら、話しながら一緒に流れを書かせながら、やっと一つの問題の解き方を理解した。
ここで新たな関門。新しい問題を解いてその解き方を理解した端から、前の問題の考え方を忘れてしまっていた。顔一面に「なんで自分はすぐに忘れてしまうんやろう・・・」というような情けなさと悔しさに満ち満ちた表情があふれている。
これだけなら珍しくもないよくある状況だ。問題はここからだ。
「前の解き方や、さっき教えた考え方が抜けてしまうのは仕方がないこと。どうすればその2つの考え方を両方とも忘れずに自分のものにするかが大事なんやで。そのために何をするか。家でも塾でもいいから日を改めて解くんだよ。それで忘れてしまっているようなら思い出し直しなさい。解けるようになっているなら、次にお会いするときに解けることをもう一度示してみなさい。そこまでいけば君はその分野を『理解した』『自分のものにできた』ことになるんやで。」という趣旨の話をした。
いくら有名な先生の名授業であっても、わかりやすくかみ砕いたやさしい先生の授業であっても、1回聞いただけですぐにマスターできるなんてことはまずない。その日に帰ってから、あるいは翌日など時間を改めて考えても、その考え方なり解き方なりが頭の中でも紙の上であっても再現できるようになって初めて勉強は完成する。名授業の名授業たるゆえんは、その「思い出す」「再現する」ことがしやすくなるように練られている点に他ならない。
これはどういうことか。いくら授業で聞いてもその場ではわかっても、のちに自分で復習しなければ何らの意味もなさない、ということだ。
これからも何度も出くわすことになる問題だ。そのたびに何度でも何度でも伝え続けたい。いつか本当の勉強というものにたどり着けるきっかけになることを信じて。