2025年2月5日 変えられない「過去と他人」

お知らせ

昨日に続き、テレフォン人生相談の冒頭のセリフの中から「変えられないもの」について考えてみたい。

変えられないものを昨日私は「過去と他人」と考えた。

当たり前の話ではあるが、過去の出来事を変えることはできない(タイムマシンでもあれば別かもしれないが)。

過去にもいろいろあって、幸せだった記憶もあれば、栄光に満ちた過去もあるだろう。一方で思い出したくない記憶やトラウマのようなもの、過去に犯した過ちのようなものもあろう。

ただすべてに共通することだが、いくら過去がいい思い出だったからと言って、その日に帰ることはできないし、トラウマのような出来事があったからと言って、冷たい言い方かもしれないが、それをなかったことにすることも当然できない。もしも何かの形で「あの日」のような出来事を体験することがあったとしても、年齢も違えば立場も変わっているかもしれない今、全き同じ情況でそのことを迎えるのは不可能と言ってよかろう。

一方の「他人」だが、これは過去であっても今であっても変えられるものではない。人の人生をあるいは考え方を変えるというのは、大変に烏滸がましい考え方であるし、ややもすると他人をコントロールするという意味合いにとらえてしまい、非常に危険な考え方にもつながりかねない。

何度か言ってきたことではあるが、他人を変える、という傲慢に満ち満ちた発想は捨てよう。私も捨てるべく常に考え、塾生たちに当たっている。かといって教育的な声掛けやしつけの類が不必要だと言っているのではない。教育の名において他人あるいは子供たちに声をかけ、怒ったりする行為は「子どもを変える」目的で行わぬほうが良いと言っているのだ。あくまで「教える」ことにとどめるべきだと言っているのだ。

それはとりもなおさず、「変えられるもの」が今の自分である、という3つ目のテーマにつながるものなのだ。

明日は「変えられないものをそのまま受け入れる」ことについて、徒然なるままに考察してみたい。

におか塾は、尼崎市立花町の「勉強を鍛える学習塾」です。

お問い合わせはこちらまで

タイトルとURLをコピーしました