今では塾生の中ではずいぶん少なくなったと思っているが、以前(といってもずいぶん前)は「すぐ答えを知りたい」という考え方を持つ生徒に手を焼いたことがよくあった。
今は小学生に多い傾向だが、これは今後の中学進学を見越して厳しく修正、矯正していく。
なぜ「すぐに答えを知りたくなる」のがまずいのか。これは最近常々私が標榜する「強さ」と真逆の態度あるいは考え方だからだ。
世代や時代の話をするのは気が引けるのだが、今はスマホやタブレットの教育現場を含めた普及が大きく、子どもたちはいろんな問題や疑問に対してすぐに調べ、情報にアクセスして答えにたどり着ける。
これはもちろんいいことだと思うが、子どもの間だけは少し考え物だ。我々大人からすると、すぐに答えにたどり着ける、情報端末やそこから得られる情報を活用できるのは大変ありがたいことであるし、私も大変お世話になっていることは否定しない。
ただ、一方でこれが大人にとってはありがたいのは、大人の中でも「考える力」を持った人にとっては情報を以下に使うか、情報からいかに考えるか、という文字通り情報を活かして用いる「活用」ができるからに他ならない。大人であっても、情報を鵜呑みにし、そこから考えられることや情報そのものの真偽について考えることをしないと情報に流される。
これがまだ社会を知らない子供たちならなおのことだ。とりあえず手っ取り早く正解、答えを見つけることにのみ注力し、その情報から考えることができないようでは、情報化社会は害でしかない。今は理科や社会の答えや勉強にまつわる問題の答えという、きわめて個人的な範囲にしか影響はないかもしれないが、社会(科目ではなくsocietyという意味での)の問題は短絡的に答えを出していいものではない。そこに誰か影響力のある人が「問題は〇〇だ」とわかりやすい一言で言われると、すぐにそれだけが正しいと短絡的に考える子が多くなるのは当たり前だと思うのだが。
話がとりとめもなくなるからここまでにするが、情報を得るのが悪いのではない。情報を得てそれを活用するには「考える力」が必要だということだ。吹けば飛ぶよな微力な私ではあるが、せめて今教えている塾生たちにとって、「考える力」を守る最後の砦でありたい。