今年もこの日がやってきた。兵庫県に生まれ育った人間にとっては夢寐(むび)にも忘れられない阪神淡路大震災の日だ。
今年はあの震災からまる30年になる。当時まだ子どもだった私は、あの瞬間体が真上に跳ね上がる感覚に目を覚ました。寝ぼけた脳天に母の「地震や!」という叫び声が響き、いつ終わるとも知れない強い揺れにだんだん恐怖とも何ともつかない感覚に襲われた。そのうち、「俺、このまま家が崩れ落ちて死ぬんやな」と恐怖を超えて不思議と落ち着いたおかしな気分になったのを今でも鮮明に覚えている。
結果として家(マンション)は無事で、ライフラインはしばらく断たれたもののケガもなく、倒れた棚や割れたガラスを朝の日の光を頼りに家族で片づけていると、電気が復旧した。すぐさまテレビをつけて画面に映った神戸の様子は、まるでこの世の景色とは思えないものだった。不謹慎だが、映画やドラマでしか見たことのないあの光景が現実として目の前に映し出された。尼崎でも神戸ほどではないにせよ、いたるところに倒壊した家屋があり、通っていた中学の隣にある橘公園の野球場は仮設住宅が立ち並ぶ場所になった。
家をなくしたり、家族や知人を亡くされた人たちには大変申し訳ない物言いになるが、あの震災は私にもいろいろなことを教えてくれた。当たり前のものが目の前から突然消え失せることは往々にして起こりうるのだ、ということ。人間様がいかに偉そうに地上に君臨したようにふるまっても、ひとたび地球が、お天道様が怒ると人間や人間の作った文明とかいうものなんぞひとたまりもないこと。それでも絶望することも負けることもなく日々を営み続けていれば、時間はかかっても必ず明日がやってくるということ。
そんな特別な思いが去来するからこそ、今でもいちばん好きで、いちばんよく遊びに行く街が神戸なのかもしれない。神戸の大学に入ったのもただの偶然ではないのかもしれない。
これらいろいろなことに思いをはせながら、犠牲になられた方々に心からの祈りを今日はささげたい。