強くなる、自分で考える、と何やら宗教のお題目のように言い続けているのだが、塾屋としての私の真意は大学受験にある。もちろん、大学受験だけがすべてではないことくらい百も合点二百も承知だし、私の言う強さは仕事や日常生活を通じた人生に通ずるものであるとももちろん思っている。だが、「勉強」を仕事にする立場上、語りかけ続ける言葉の先はどうしても勉強に置かざるを得ないのだ。
では、大学受験に当たってなぜ「強さ」や「考える」を唱え続けるのか。それはとりもなおさずこの話が大学受験の勉強に必要な素養であって、かつ不可欠な資質であるからだ。
その本質は何かと言えば、「大学受験は自分で動ける人間が勝つ」点にある。
国公立大学は今年の共通テストから「情報」が試験科目に加わる。配点は低い大学が多いとはいうものの、試験科目として追加されたのに間違いはない。結果として試験科目は膨大な数になる。文系受験生は理科が基礎2科目になる人が多いだろうし、社会も2科目受験だ。理系であっても理科が基礎でない科目2科目だ。加えて二次試験だってある。
では私立大学なら楽かというと、そんなことはない。確かに科目負担は国公立に比べて少ないのかもしれないが、それはとりもなおさず、少ない科目に絞って猛勉強した人たちとの争い、ないしはそれらの大学を併願する国公立大受験生との争いなのだ。
しかも、どんな大学を受験するかにかかわらず、高校生の履修科目は数が多い。定期テストであっても中学生の倍くらい科目を勉強しなくてはいけないのだ。それを塾であれ何であれ、他人の力や指導にべったり寄り添って乗り切るなんて不可能に近い。
そうすると、自分で動くことが必要になる。限られた時間で膨大な科目を勉強するのであれば、時間の管理が肝要だ。それは長期休みの過ごし方にもつながる。せめて1,2年生の間は英語と数学は予習しようとするであったり、私立文系受験であれば、受験以外の科目は最低限にとどめて社会や英語にウエイトを置いた勉強をしよう、といった考えを「自分で」組まねばならない。
これをすべて他人任せにしても、たいていは実行なぞできない。結局自分で決めていないからだ。順調な間はともかく、少しでも行き詰まるとストップする。自分で決め、自分で行きたい大学を目指すからこそ、自分で考え、自分で実行し、自分で結果がつかめるのだ。
これを高校生になったからといっていきなり「やれ!」と言っても難しい。であれば中学生の間に、語弊はあるが大学受験に比べれば格段にぬるい高校受験の間に少しでも実践させたいからこそ、私は今日も言い続ける。
もしも大学受験を選択しないのであれば、それはそれで結構。代わりに選んでいく自分の道に必ず資すると私は確信している。
もう一度言う。強くなろう。