勉強しろと言うな、子どもと親の課題を分離しろ、とこんな調子で話してばかりいるが、そうすると「じゃあ親は何も言っちゃいけないのか、子どもに対して」と思われるかもしれない。
そんなことはない。私は「課題を分離すべきだ」と言っているだけであって、「何も言うな」と言っているのではない。子どもの人生は子どもの人生だから親であっても踏み込んではいけない、と言っているのだ。自分が受験するかの如く「あの大学はどう?この大学はどう?」と頼まれもしないのに受験させようとするがごとき節介はおよしなさい、と言っているだけだ。
間違った考えや振る舞いを正すために注意したり叱ったりすることは当然必要に決まっているし、世の中の常識や考え方を教えてあげることだって必要に決まっている。教えることは必要なのだ。教えたことを守るかどうか、実践するかどうかの選択は子どもにゆだねなければいけない、と言っているのだ。
教える、注意する、叱ることは親の課題だが、それを受け取って行いを改めるか逆らうか、その選択によって将来苦労したり損をしたりするのかは子どもの課題だ。それを認識したうえで伝えべきことは伝えてほしいと思っている。行いを改めさせるのが親の課題だ、と思っているようであればそれは勘違い。子どもの課題に親であれ教師であれ、他人に土足で踏み込む権利はない。
迂遠なようだが、こうしておかないと子どもは自分でものを考えない。自分で考えないから進学先などの進路もまともに考えない。当たり前だ。親が先回りして「ああしろこうしろ」とおぜん立てをし、今のところそれに乗っかって大きな失敗をしていない、と思えば誰が自分で考えたりするものか。親が言うから、先生が言うから、で終わりだ。
だがそれはいずれ悲劇を生む。人生、全てが成功してうまくいくことはまれだ。たいていどこかで頭を打つ。第一志望の大学に不合格だった。希望した就職先の会社に入社できなかった。資格試験に何年挑んでも合格できず、受験をあきらめた。すべてをかいくぐって成功だけで人生を渡れた人なんてほぼいないだろう。そんな時、自分で考えた人生を歩めていなければ、親のせいにする。教師のせいにする。他人のせいにする。最低最悪な人間の完成だ。
人はその失敗に意味を見出し、反省できれば次に進める。ただしそれには条件がある。
親に言われてきた経験の有無だ。当たり前だが誰かに言われていなければ、気づくきっかけなんてありはしないのだから。だから、振る舞いや考え方、大きく言えば生き方をしっかり伝えてあげてほしい。
ただし、言ったことに対する受け止めはあくまで子どもの課題だ。親の課題ではない。言ったことを守らせよう、子どもを変えてやろうと働きかける必要はない。不安かもしれないが言い続けて後は待つだけにしてほしい。
断言してもいいが、子どもにはいつか絶対に通じる時が来る。それはいつになるかわからないが、絶対に通じる時が来る。それを信じ続けることができるかどうか、親御さんにかかっている。