勉強を教える時に重視することは何か、というたまには塾講師らしい話題に考えを及ぼしてみたい。
多くの塾の先生と大きく変わるところはないように思うが、私は「考えの流路」を重視している。
問題を解くにあたって、何を考え、どのような順序で考え、どのように式や言葉で表現し、答えにたどり着くのか。この一連の流れを私は「考えの流路」と呼んでいる。
ともすれば、子どもたちは「答え」にしか関心を持たないことが多い。自分の出した答えが間違っていたら、「正解は何だったのか」にしか関心が向かない子は多い。手元を見ていればよくわかる。私が考えの流路を伝える場面ではうわの空でいて、いざ答えの式に表す段になると筆記マシーンと化す子だ。
経験上、こういう子はまず伸びない。パターンだけで取れる75点くらいが得点の天井になる。そこには「答え」しかなく、「答えに至る考えの流れ」にそれこそ考えが至らないからだ。こういう子には「答えがアかどうかなんかどうでもええねん!大事なんは何でアになるかの方や!」とカミナリが落ちる。でも大半はポカーンとするだけだ。
反面、できる子はこの「考えの流路」に食いついて話を聞いている。時には「じゃあ〇〇っていうことですよね?」と突っ込むことで、自分の中で考えの流路を消化しようとする子もいる。こういう子は伸びる。
考えの流路を身につけるには相当の訓練が必要だと思う。それまでの膨大な思考訓練の経験がものを言うからだ。答えだけ知りたい、意味だけ知りたい、という淡白さで臨んでいる限りはまず身につかない。だからこそ、私も執拗に質問を浴びせて考えるように促し続ける。けれども、やはり伸び悩む子は得てして沈黙してしまう。
今すぐ身につけろ、と言うのはあまりに無理難題が過ぎることは私もよくわかっているつもりだ。けれども、今から始めさせなければ、いつまでたっても身にはつかない。
しかもこの考えの流路は、何も勉強に限ったものではない。仕事でもスポーツでも、何ならゲームをするときにでも使われる。
勉強では成果が出なくとも、その後の実りある人生のために、今日も考えの流路を伝え続けたい。