以前から「課題の分離」を何度か話題にした。
子供であっても他人である以上、親や家族、教師であっても子供の課題は自分の課題ではない、と分けて考えるべきだという意味だ。
ともすると私の性格上、「課題の分離ができない場合の問題」について取り上げがちなので、今日は少し角度を変え、課題の分離ができているといいことがある、という角度で考えてみたい。
すなわち、自分で自分の課題に向き合える人間にとっては、人生の局面における成功も失敗も取るに足らず、人生におけるすべての選択を「正解」とすることができる、という話だ。
例えば進路の話。進学、受験する学校を選ぶのに親の方が前のめりになって「〇〇高校はどうだろう、△△大学はどうだろう」と言ってこられる方が一定数いる。これではうまくいくことが少ない。
一方、子どもの方が前向きになって「〇〇大学と△△大学を受ける。どっちに受かっても喜んで入学式に行く」と受験や進路を自分の課題と考えて選択できた場合、たいていうまくいく。
もちろん受験は時の運の影響を受けるので、受験結果はうまくいかないこともあるかもしれない。そういう時にこそ、「課題の分離」ができているかどうかが今後を分けると思う。
ここで「親が言うから」で選んだ結果が不合格だった場合、子どもはその失敗から何も学べない。「自分の課題」と認識できていないからだ。高確率で人のせいにする。親のせいにする。いやいや進学した滑り止め大学で不毛な時期を過ごすことになりかねない。
でも、「自分で選択した」結果として、当初志望していた大学に行けなかった、第2第3の希望大学にいくことになったとしても、自分の課題を認識できていれば、その失敗は失敗ではない。そこから学んだ経験で在学中、卒業後の進路を成功に結び付ける努力ができる。その努力の結果がまた客観的な意味での失敗だったとしても、またその人はそれを糧に次へ向かえる。
自分の意志で考え、自分の意志で行動、努力し、自分の意志で結果を得た人間に失敗はない。もっと言えば、自分で選んだ道に成功も失敗もない。自分を貫く強さを持ち、自分の課題に真摯に向き合えた人間にとっては、途中地点における成功も失敗もすべて「正解」となり、その「正解」の集積が幸せな人生になるのだ。
私も塾生たちに成功、失敗を超越した「正解」を選び取り、つかみ取れる人生がやってくるよう、今日も明日も全精力で伝え続けたい。
自分で考え、自分で選び、自分の足で目的地へたどり着け。私にできるのは、「歩こうとする意志」を持つ諸君を支えることだけだ。