かなり以前になるが、とある塾のブログで「塾経営」について語っていた記事を読んだことがある。
いわく、自分はこうしてきた、これからもし塾を始めようとするのなら、〇〇を・・・、というような類のことがいくつかの回に分けて書かれていた。自分はこういう塾でやっているからお客さんに支持されて云々とつづられていた。
塾のブログで塾の経営について書く必要があるのか?という疑問はさておき、最近その塾のことを思い出して検索してみたが、その塾のホームページがなくなっていた。どうやら廃業した様子だった。
どういういきさつで廃業したのか、今となってはわからないが、記事を思い出すと、その塾の経営者の方は私とそんなに年齢が変わらない人だったと思う。
思い返すと、私が学生時代に最初にバイト講師をさせてもらった個別指導塾も、15年くらい前に教室を閉鎖している。当時はちょうど個別指導塾の黎明期を過ぎたころぐらいだったろうか。世間知らずだった私は「こんな形態の塾があるんや・・・」と思って応募させてもらった。
塾長さんがよく、私たちが昔通っていたような昔ながらの塾を引き合いに出し、「そういうやり方でやってるからダメなんだよね。これからは〇〇が・・・。」と笑いながら話されていたことを思い出す。
高校時代に数学で少しお世話になった塾があったが、そこの塾長さんも私が中学時代に通っていた塾の話をすると、「そんな塾やからダメなんよね」などと話されていた。その塾はもうない。
上に挙げた3つの塾、いずれも私がお世話になったころあるいは読ませてもらっていたころは隆盛を極めていた。生徒はいっぱいいたし、バイト講師も私を含めてたくさんいた。全て消えていった。
今回私がいちいち昔世話になった塾などを取り上げてみたのは、私自身が教訓とせねばならぬことがある、と思ったからに他ならない。
それは、「驕(おご)らぬこと」、「他人をとやかく言わぬこと」の2つだ。
自分がうまくいっているからといって他人を蔑んではならないし、自分がうまくいっているからといってそれを驕るようではいけない、ということだ。
翻って私のこと。まず他塾の悪口は絶対に言わないと誓う。もし悪評を聞きつけたとしてもだ。そして、うまくいっているからといって、自分のやり方が絶対の正義のように驕り高ぶるなどあってはならない。その驕りはいずれ天に吐いた唾のごとく自分に向けて落ちてくる。今どきの言い方で言えばブーメランだ。まあ、私の場合、順調とは程遠いのでそれはないと思うが(笑)。
今やっていることがうまくいったからといって、そこに安住はしない。「私が見てやろう」などといった勘違いも甚だしい態度は絶対に取らない。塾生の成績が振るわなければ眠れないほど苦しみ、逆に成績が伸びれば自分のことのように喜び、その塾生を誇りに思う。塾生は何人もいるが、その一人ひとりと烏滸がましいが苦楽を共にして一緒に成長し、強くなりたい。それをいつまでも続けていきたい。驕っている暇など私にはないし、そんな気持ちが少しでも芽生えそうになったら、私は私を許さない。
先人の失敗から、私は学ばねばならぬ。古人は「驕る平家は久しからず」と言った。