「先生、国語やってもいいですか。」
先日、うれしい一言を聞いた。
期末テスト前の中学生が、苦手な国語のワークを解きたいというわけだ。しかも1年生。
いい傾向だと思う。
「何やればいいですか?」と聞いてくるのならまだいいが、こちらから「これやってみ?」と言われるのをひたすら待っているだけの中学生がほとんどの中、中間テストでふがいない点数だった国語を今度は何とかしたい、という強い意志の表れだ。
当然私は「おう、やってみ!」と返事する。
しかも1時間半くらい国語を続けた後、「次、数学やってもいいですか?」ときた。
素晴らしいことではないか。
以前の中間テストの際、私は「ばっかり勉」をするな、と皆に伝えている。3時間も4時間も同じ科目ばかり勉強するのはよくない、という意味だ。この生徒はそれを体現してみようとしている。
私の返事は当然、「おう、やってみ!」だ。
最終的にこの子は18時から22時の4時間の勉強時間内に社会も行い、3教科を1時間以上ずつ勉強して帰った。
苦手教科の点数を何とかしたい、他の教科もおろそかにはしない、私の伝え続ける「強さ」の芽に息吹が与えられる瞬間になってくれることを、どんなに願うかわからない。
ただ、私は強制的にやらせるようなことはしない。塾生たちがいずれ自分で気づき、自分で強さの芽に息吹を与えるようになる日をずっと信じ続けることにしている。
強くなれ、〇〇(塾生の名前)。君なら強くなれる。