学校や公園には花壇があると思う。
そこにはいろいろな花が植えられているだろう。チューリップだったりバラだったり、ひまわりだったりコスモスだったり。
地表に現れる花はそれぞれ違った色や形、大きさや香りを持つからいちいち違うと考えるかもしれない。それはもちろんそうなのだが、大事なのは、全ての花が同じ土から水や養分を吸って生きているということだ。
これは勉強についても同じことが言えると思う。すべての教科は花だと考える。地表に現れる花の名前は英語であり、数学であり、国語である。ただし、その花は全て同じ花壇の同じ土から養分を吸って育つのだ。
どういうことか。
すべての勉強には共通する考え方や頭の使い方などが横断的に存在するということ。その勘所のようなものをとらえることができるようになった人は、あっという間に成績が上がる。数学の勉強で使っている能力を転用できれば、国語の成績が上がる。さらに転用して社会の成績が上がる。英語も上がる。同じ土の中にある栄養をすべての花に与えられる力が身に着けば、全ての教科ができるようになるのだ。
ただ、やっかいなのは「じゃあその勘所って何なのか教えてよ」という人。
残念ながらこれは、自分の力で気づいて練り上げることでないと体得できない。人が教えたからすぐに使えることはない。教えられてできるようになった、という人もいるかもしれないが、それはあと一歩で気づく段階まで出来上がっていた子の、最後の背中をポンと押しただけだったりする。
そもそも、なんでも「どうやればいいの?」と苦労する部分をかっ飛ばしておいしいところだけ持っていこうという、セコイ考え方が私は大嫌いだ。そんなこと聞かれても絶対に教えない。仮に教えても、そんな人間に体得することなんて不可能だ。
私が塾生に伝えるのは、「その考え方」を使ってものを考える姿を見せること。間違っても「これやれば全部成績が上がるよ」のような、方法を教えることではない。子供たちがその考える芽に気づくこと、その芽に息吹を与えること。その瞬間を見つめること。これが私のとるべきスタンスだと思っている。