昨日に続く。
昨日は母との思い出をきっかけに「何点取れたらいいな」という人間の覚悟の弱さの話をした。
テストの点数でも大概私はカミナリを落とすのだが、もっとひどいのは志望校についてだ。高校受験、大学受験の指導経験がある私だが、特に大学受験において、「とりあえず国公立」「とりあえず関関同立」という言い方で臨んでくる高校生にはかなり厳しい態度で接してきた。相手も高校生なので怒ったりはしない。基本的には理詰めで追い詰める。ただし「勉強量の足りなさ」「偏差値の及ばなさ」「理解の足りなさ」「残された時間では間に合わない」など定量的なデータや数字、過去の指導経験などを交えて反論の余地なく話す。それこそ「塾長に厳しいこと言われた」と本部にクレームが入ることもあったほどだ。
「とりあえず」というのは便利な言葉だ。最近は減っているだろうが、かつては居酒屋での一杯目に「とりビー」という言葉があった。「とりあえずビール」という意味だ。後に何を飲むかは後で考えればいいので、「とりあえず」というわけだ。こういう「とりあえず」はまあいいだろう。私もよく使ってきた。居酒屋のビールには失敗がない。ビールが嫌いなら初めから「とりあえずビール」なんて言わないし、ビールはどこでも同じ銘柄なら同じ味だからとりあえずで頼んでも問題はない。
ただ、受験や勉強における「とりあえず」はまったく価値が違う。そこにあるのは「とりあえずビール」と「とりあえず国公立大学」という言葉に共通するある一点だ。それは何か。「深く考えていない」という一点だ。深く考えていない対象がビールか志望大学かという違いなのだ。繰り返すが、居酒屋で一杯目に何を飲むかを深く考えることにさしたる価値はない。ただしどんな志望大学を口にするかを深く考えないのはただの覚悟不足、意識の欠如でしかないのだ。事実、そういう態度で臨んできた生徒の口にする志望校とその末路は、「1学期は国公立、夏休み明けには上位私大、12月には中堅私大、最終進学先は中堅私大以下もしくは浪人」だ。模試の成績を前にひよって志望校を変える(下げる)わけだ。成績を向上しようという意思はそこにはないため、最終的に12月に書いた志望校さえ合格はままならないのだ。
エラそうな言い方をしているが、私だって高校時代「いけたらいいな」レベルで考えていた大学を早々にあきらめる羽目になった。最終的に志望大学は変わったがその時には「何がなんでも行ってやる!」になっていた。その覚悟を持ったからこそ、受験の神様は私に微笑んでくれたと今でも思っている。だからこそ、「とりあえず」という口ぶりは真っ向からただす。
改めて受験生あるいは受験を考えている中高生や保護者の方に申し上げる。「とりあえず〇〇大」なんて口が裂けても保護者は言ってはいけない。子供に言わせてもいけない。もしも口にすることがあれば、「そんな覚悟だったら私はアンタのことなんか絶対応援せえへん!」と突き放すべきだ。塾になんか通わせてはいけない。参考書を買い与えてもいけない。子供が心の底から「〇〇大学に絶対行きたい、でも自分一人では勉強できないから力を貸してほしい」と頼んでくるまで待ってほしい。中高生の立場なら「〇〇大学に絶対に行きたい。何とか〇〇大学に行かせてください。自分一人ではどうやって勉強すべきか不安だから塾に通わせてください」と(心の中では土下座する勢いで)頼み込みなさい。