唐突だが私の母には嫌いな言葉がある。
スポーツ中継などを見ていると勝利者インタビューがある。あのときにインタビュアーが「次の試合に向けて一言お願いします」という感じの質問を優勝インタビューでもない限りほぼ必ず投げかける。その時の返事が気に食わない、と母はよく私にこぼしていた。こんなセリフだ。
「頑張って決勝に行けたらいいなと思います。」
これを聞くと母はたいてい次のようなセリフをこぼしていた。一緒には暮らしていないが今でも言っているかもしれない。
「いけたらいいな、みたいな言い方しとったら無理やろ。」
確かにその通り。「絶対勝って決勝に行きます!」くらいの意気込みで話していたら、時の運やなんかで敗退したとしても「よく頑張った」と拍手を送りたくなるものだ。
私も今でもそう思っているので、「できたらいいな」は極力意識して使わないようにしている。
翻って勉強の話。
「次のテスト〇〇点取れたらいいな」という言い方をする子がいるが、たいていは取れない。だから私も「何や、『取れたらいいな』って。『絶対取ったる!』でないと取れる点も取られへんわ!」とカミナリを落とす。そういう子に限ってだが、「テストどうやったん?」と聞くと「やばかったです」と半笑いで返事してくる。
初めに覚悟が足りないから点が取れないのだ。覚悟が足りないから悔しくないのだ。覚悟が足りないから半笑いなんて情けない顔を恥ずかしげもなくさらせるのだ。覚悟が足りないから今以上の点を取れる自分になれないのだ。
小学生の話をしたい。英語を受講している小学生に毎週単語テストを課しているが、その子は毎回必ず単語集を片手に(カバンに入れずに持ったまま)塾にやってくる。家を出る前に「お母さんに『今日は満点とってくる!』って言ってきた」のだそうだ。満点が取れないからと言って怒ったりするようなお母さんでないことは承知している。小さな戦士は自分にハードルを課しているのだ。だからテストには真剣に打ち込む。私が丸付けをしている間、頭を抱え、机に突っ伏して待っている。アルファベットが一文字抜けていたりすることがある。lとrを書き間違えていたりすることもある。そんな時、彼はべそをかく。お母さんに怒られるからではない。そのたった一つのしょうもないミスで満点を逃した事実が襲いかかってくるからだ。一方、満点を取ったときは「ぃよっしゃアー!」と雄たけびをあげる。私もなぜか丸を付ける手が震える。最後の問題になると「ちゃんと書いててくれ!」と祈るような気分になる。自然、丸付けが終わると「よし!よくできました!満点!」と声を張り上げる。真剣に取り組んだからこそうれしいのだ。「満点とったで!ってお母ちゃんに言ってこい!」と授業終了後送り出す。勉強する側も教える側もかくありたい、と思うひと時である。
「〇〇点取れたらいいな」と「〇〇点絶対取ります」にはただの言葉の違いではないものがある。それは言霊といっていいかもしれない。私はスピリチュアルなるものに関心は全くないが、心意気に関する言霊だけは存在すると思っている。
次回に続く