2024年10月25日 思考力の源「なぜ?」

中学生

昨日、思考訓練の量、回数が学力を決めると書いた。

では、思考訓練の量をどうやって増やそうか、となると、簡単な話ではない。

スポーツのように「トレーニング量を増やす、練習時間を増やす(本当はそんな単純な話ではないとは思うが)」のようにはいかないのが、この思考訓練という奴だからだ。

ただ、スポーツと異なる点が一つある。

思考訓練の場所は、日々の生活の中でいたるところに転がっている、という違いだ。

プール以外で水泳はできないし、広い場所がないと野球やサッカーの練習ができないのとは違う。

本当にいたるところに、思考訓練の種は転がっているのだ。

要はその種を放っておいて見過ごすか、その種を思考訓練に変えるかの違いが、思考力の差を分けるのだ。

では、その思考訓練の種を訓練の場に変えられるか変えられないか、それを分けるものは何か。

それが「知的好奇心」「知的探求心」と呼ばれる心だと思う。

わかりやすい言い方にすると、「なぜ?」と考えられる心だと思う。

ただ、何もない子供たちに「なぜ?」と考える心を持たせるのは難しい。

そこで大人から少しだけパスを送ってあげよう。

「なんで〇〇なんかなあ?」「なんでこんなことできるんかなあ?」など、謎を投げかけてあげるのだ。

これに子供が食いつけばしめたもの。

できるだけ答えはすぐに教えずに考えさせてあげるのだ。

こんな細かいことの繰り返しが、いいトレーニング材料になると思う。

反抗期真っただ中に入って「大人の言うことに耳を貸さなくなる」と手遅れだが、やってみる価値はあるのではなかろうか。

わからないこと、すなわち考える材料は次から次へとやってくるし、そのたびごとに思考力、ひいては学力は鍛えられるのだから。

芥川龍之介の「侏儒の言葉」の中に、こんな一節がある。

我らいかに生くべきか。ー未知の世界を少し残しておくこと。(詩人である室生犀星の言葉だそうだ)

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