問題が解ける、ということ。テストで解ける、ということ。ここについての感覚とでもいうようなものについて、この夏には皆に改めて味わってもらいたい。
よく私は皆に、嫌みととられかねないことを承知で言うのだが、私自身は中学生のころ、いわゆるテスト勉強というようなものをしてこなかった。それは何も、私が天才的に頭がいいからそうしているわけではない。普段の勉強がテスト勉強のようなものになっているからだ。
授業で話を聞く。問題を解く、あるいは宿題をする。その際に、問題を解く手順や考える内容を、いちいち問題から読み取って整理して考えるくせがついていたからに他ならない。
例えば、「ああ、これは熱分解の実験だ。だからできる物質は炭酸ナトリウムと水と二酸化炭素だ。だから確かめる手順はフェノールフタレイン液(炭酸ナトリウム)、塩化コバルト紙(水)、石灰水(二酸化炭素)だよな。だからあとは・・・」といった具合に、問題を見た瞬間に処理する手順が見えるように意識しているのだ。
そうすると、テストであれ何であれ、問題に当たった際に手順が浮かぶ。手順通りであれば、その後に聞かれる設問が何なのかさえも大方予想がつく。断言してもいいが、成績上位の子ほど、この手順がしっかり確立しており、予測の精度も高い。当然問題処理のスピードも速い。だから、ほかの子たちが「時間が足りなかった」と振り返るテストであっても、10分以上時間を残して終わることだってできるのだ。
もちろん、言葉でいうほど簡単ではない。まず何より、確固とした知識の整理が必要だし、考える手順という「思考」が伴うのだから、普段から頭を使うことが苦手な子には、かなりストレスを伴う作業になる。
ただ、そこをもし1教科でもいいから身に着けることができれば、成績は飛躍的に上がる。そのことを皆に伝えられる夏にもしていきたい。
つくづく欲深い男である。