昨日だが、夜に「日曜日の初耳学」という番組をたまたま見かけた。予備校の英語の先生などが出ていていろいろな話をしていた。
その中で出ていた話なのだが、子どもがやる気をなくすきっかけの第一位は「親が『勉強しろ、早くやれ』と言ってくること」なのだそうだ(どこのものかは忘れたが統計によるらしい)。英語の話もしていたようだが、ここではそのことは考えない。
かねて私は「勉強しろ」というのは逆効果だと考えている。こういう話がテレビでも何でも言われている。でもどうして親は言ってしまうのか。
私も保護者の方にこのようなことをお願いすることがある。できる子ほど親は「勉強しろ」と言いませんよ、と話す。でもやはり「そうはわかってても言ってしまうんですよね」と答える人が多い。
これは人情によるところが大きいのだと思う。そこで私はこういうことがある。「僕はこれを、子どもに『勉強しなさい』というのと同じ気分でお願いしています」と。
何が言いたいのか。親が子どもに「勉強しなさい」と言うことと、私のような人間が親御さんに「勉強しなさいと言わないでくださいね」とお願いすることは同じなのだ。それは、「自分の気持ちやある種の欲求のようなものに逆らってくれ」と言っているという一点で。
子どもに「勉強しなさい」というのは、端的に言いかえるなら、子どもの「勉強したくない、遊びたい」という欲求に逆らえ、と言っているのと同義なのだ。
同様に親に「勉強しなさいと言うな」というのは、親にとっては「子どもに勉強させたいという欲求」に逆らえ、と言っているように聞こえてしまうのだと思う。
今一度考えてほしいと思うのだが、子どもにある種の我慢を強いる命令をするのなら、親御さんも一度「勉強しなさい」と子供に言ってしまうご自身の内面に目を向けてみてほしい。それは本当にお子さんのことだけを100%念頭に置いた発言ではないのではないだろうか。子供に勉強させたい、という自身の欲求もあるのではないだろうか。
大人の側は、一度そういった自身の欲求めいたものからは距離を置いて考えてみてほしい。客観的なデータなどによれば、あなたたちの「勉強しなさい」の一言は逆効果でしかないのだから。効果はない、子どもはやる気をそがれるだけ、言った側はストレスがたまる、では踏んだり蹴ったりではないだろうか。