人間修養としての「いい勉強」を

中学生

夏休み前の懇談会真っ最中である。休み前懇談というと、独立する前は懇談というより講習にかかわる商談になってしまい、どうしても話したいことが話せなかったり、成績より前に講習金額を目の当たりにした保護者の驚きの顔に直面してしまうため、子供が中心に据えられなくなってしまう。今の形にして本当に良かったと思う瞬間である。

今回懇談の中心に据えているキーワードだが、それは「いい勉強をしましょう」ということ。勉強をすることもそうだが、その中身をもっとよいものに変えていきたい、という趣旨だ。

私の中のテーマでもあるので再三書いてきているが、私はいわゆる「勉強の仕方」や「参考書ルート」、「方法論」のような効率ないしは自分で考えない姿勢で勉強に臨むことを嫌っている。

それはひとえに、勉強というのは、いい学校に行くためのような側面も大事だが、人間の修養とでもいうべきものに対する格好の材料となりうるとも考えているからである。

自分の弱さを見つめる、嫌な面倒なことへの処し方を身につけることができるうえ、スポーツと異なって体格などのハンディキャップがない。少々体が弱くても取り組める余地を持っている。

私は塾生に「頭の良さ」のような恵まれた能力は求めていない。現在の成績の良し悪しでその子のことを判断するようなこともしない。私の求める勉強は「道」である。その「道」に対して真摯に向かい合う気概ないしは真面目ささえあれば、人間修養としての勉強はできると思っている。勉強において高い成績や高学歴はもしかしたら望めないかもしれなくても、のちの人生において困難や苦境に立たされたときに、その子の真価を発揮できる人間になれると思っている。

青臭いことを言っているのは百も承知だが、その信念だけは決して曲げずに、今日も明日もこれからも塾生たちに私は向き合っていきたい。

におか塾は、尼崎市立花町の「勉強を鍛える学習塾」です。

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