昨日、甘やかされて育つ恐ろしさと題して、友人の仕事場での話をしたが、少し考えを進めてみたい。
昔と今を比べるような言い方をするのはよくないのかもしれないが、確かに眺めて今は、怒られて育つ場が少なくなったように感じる。
「学校で先生が怒ってました」という話は塾生からも確かに聞く。「ママやパパによく怒られる」という話も同様。ただ、私が思っているのは、そのような家庭や学校「以外」の場所の話だ。塾のような習い事の場ではお客様になるし、昔はよくいたご近所の「うるさいおじさん」の類は減った気がする。トラブルになったときが面倒だからなんだろう。
かくして、子どもたちはある意味「温室」のごとき場所で育てられることになる。しかしながら、彼ら彼女らが長じて社会に出ればそうはいかない、というのがかつての当たり前だった。
ただ、今は違う。注意される側はされ慣れていないので、少し注意されるだけでも過剰にとらえてしまうかもしれない。仕事上の不注意をとがめられただけでも、人格を否定されたように感じてしまうのかもしれない。しかも、今の社会はそういう人たちの反応に敏感だ。その結果が昨日の話にも出した、「注意した側が注意される」という現象になっているのだろう。
正直な気持ち。私は、社会に出る前にもっと子どもたちには傷ついてほしい。何も深手を負うような傷を負わせるべし、と言っているのではない。少しずつ傷ついてほしいと思っている。傷ついた経験は自分を強くする。何をすれば怒られるのかを知るきっかけにもなる。また、傷つけられる気持ちもわかるようになる。長じて自分が注意する立場になったときにはもっとわかるようになっているだろう。
その心もて、私は厳しく塾生にあたることにしている。やがて世に出て人となるとき、くだんの若者のような人間になって出て行くことのないように。