最近の学校の授業などを塾生から聞き取っていると、ある事に気が付く。
教科書を使用していない科目あるいは先生が多いことだ。
国語や英語ではさすがに教科書を使わないことはあり得ないが、特に社会では教科書は使っていないという声をよく聞く。
どうやって授業やってんの?と聞くと、「プリントを使用している」との答えが返ってくる。
教科書の内容を穴埋め形式のプリントにし、授業で先生の話を聞きながら、プリントの穴埋めを一緒にやっていくというよくある形だ。でも教科書は読まないらしい。
ここで大事な視点だと思うことを一つ。
なぜ先生は教科書を使わないのか。
これはほぼ私の経験から確信していることだが、大半の生徒は「教科書が読めない」ことを、現場の先生はよくご存じなのだろう。
何を馬鹿な、と思われるかもしれないが、中学生の多くは(私の肌感覚では過半数が)教科書がまともに読めていない。
いや、教科書というより文章を読み取る能力が欠けている、と感じている。
具体的な内容に触れると長くなるので避けるが、「教科書に書いてあるよ」というこちらの指摘と「書いてないです」と主張する生徒の間の理解の隔たりがとにかく大きい。
今般、中間テストの結果を受け、当塾では「教科書の熟読(特に社会や理科)」を勉強内容に組み込もうと考えている。
今、それを中学生たちに伝える内容を模索しながら、この日記を書いている。